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読書はしご

読書雑多文。

「日本人にとって美しさとは何か」

美術 日本

 

日本人にとって美しさとは何か (単行本)

日本人にとって美しさとは何か (単行本)

 

外国人が多く日本を訪れる昨今、日本のメディアにおいても日本再考・再発見といったものが多い昨今。

やはり島国日本であるが故に、いわゆる「Only In Japan」と揶揄されるように独特な文化が根付いているのは否定できないのか。

他国に比べると弱い国際交流の中で、取捨選択をしながら日本文化は形づくられてきた。そのなかで、しなやかに残り続ける日本人らしさというものもやはりあるに違いないが、それってどんなんよ実際とも思う。

まず、比較しやすく、現代でも残っていて、比較しやすいのは美術であると思う。

そこで本書、「日本人にとって美しさとは何か」である。

地元倉敷図書館であったためか、すぐ近くにある大原美術館の館長さんの本だった。 これは面白いだろうな、と借りたら、大変面白かった。

 

古今和歌集「序文」

やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をなぐさむるは、うたなり。

                (『古今和歌集』仮名序、笠間書院

この序文はざっくり言うと「日本人は貧富を問わず、だれでも、人の心を種として、さまざまな言葉を、詠をよむ。歌を詠めば雨も止み、天地が動く。神も武人も心を慰めている」みたいな意味です。

これが西洋では詩は詩人しか読まないし、神様の世界に人間なんかの歌ごときが、世界を動かすとは考えない、という高階氏の解説が入ります。

あとは、文字と絵を一体と見なして、同じ画に納める、というのも西洋ではない。

まあ、文字と絵を一緒に楽しむのは書の文化のある中国も一緒ですかね。

 

あとは、写実性の高い西洋美術に比べて、日本は写実性が低い。

この理由として、日本は対象を表すことを優先し、平面性と余白の美を多用するから、というのが感心しました。

よく見る洛中洛外図、金色の雲がもやもやかかりながらも、遠近法を用いず、平面的であるが故に、洛南も洛北も建物が同じサイズで人も建物もわかりやすい。

これは本当に目から鱗でした。遠近法で、洛南の建物を書いてしまったら、洛北の金閣寺なんて点にしかなりません。

そこで敢えて、雲でごまかしつつ、同じサイズで書く。なるほどー。

書きたい主体を伝えたいんですね。

一方で、尾形光琳の「八橋」。

西洋美術だと、八橋の杜若も、空も、湖もすべてを写実的に描かなければならない。

一方、日本美術だと「伊勢物語在原業平が東下りをするシーンってみんな分かっている。描きたいのはシーンを象徴する杜若。杜若を描けば『唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思う』歌が当然思い出されるし、前後の話も思い出すから、もう杜若と橋しか描かない。業平も従者もいらん。場合よっては、橋さえもいらない」とどんどん切り捨てていく。

 

なるほどなるほど違うなぁ。

他には擬音語とか、日本の名所は季節と一緒に捉えられるとか。

そういった風に日本と西洋の美術を比較し、日本美術における根底を明らかにしようとした本書。

前半は主にアニミズムの精神性が随所に感じられ面白い。

後半は西洋美術の関わりの中で、明治期にどう西洋美術に取り組んでいったのか。また日本画どう変遷していったか。

地元倉敷大原美術館の館長さん執筆で、後半に少し大原氏と児島氏の西洋美術収集も触れられていたりして、楽しかった。