読書はしご

読書雑多文。

「日々コウジ中 高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック」

 ある日、働き盛りのご主人が、くも膜下出血で日々の生活も大変な高次脳機能障害に。

日々コウジ中―高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック

日々コウジ中―高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック

 

 母が高次脳機能障害の本を探して、図書館で借りてきた一冊。

私の母は認知機能はあまり低下していないので、「私の症状と違うから参考にならないよ」と言われました。

しかし「周りには普通に見えるのに普通じゃない」状態でサポートをしないといけない家族の孤独や苦しさが、私には大変参考になりました。

症状は違っても、サポートされる家族に読んでほしい一冊です。

 

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「万能鑑定士Qの事件簿Ⅹ」

 シリーズ10作目にして、シリーズ1作目前後に巻き戻ります。

巻き戻るだけでなく、気になる人物がいたということも分かったりとか、うまい。

万能鑑定士Qの事件簿X (角川文庫)

万能鑑定士Qの事件簿X (角川文庫)

 

 

ただ、個人的にこういう調整回があまり好きじゃないんですよね。

文学少女」シリーズの「”文学少女”と月花を孕く水妖」のように唐突に挿入される過去話、今まで言及されていなかったエピソードや最終作への伏線。

シリーズ最後まで読んでないのですが、脈絡のない過去話であるため、いまいち盛り上がれませんでした。

 

唯一盛り上がったのは、美容師・笹宮朋季の存在です。

せっかく前回が小笠原回だったのに。

過去に、莉子にちょっと気になる人がいたという展開。

これはまさか三角関係への布石?胸が高鳴ります。

この美容師の彼が引き続き出てくるかどうかで本作の存在意義が異なってくるでしょう。

早く続きを読まねばなりませんね。

「万能鑑定士Qの事件簿Ⅸ」

 モナリザ回。小笠原のせいで、ネタバレせずには感想をかけない一作。

 

万能鑑定士Qの事件簿IX (角川文庫)

万能鑑定士Qの事件簿IX (角川文庫)

 

 

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「十五夜物語」

 十五夜というキーワードから千夜一夜物語を想起して借りたわけですが、全然違いました。

妖しく艶かしい夢枕ワールド前回の大人向け絵本。

十五夜物語

十五夜物語

 

夢見小僧に

幻食坊。

遠く眺むる地平線。

 

流るる雲は行方を知らず。

想ひは白き鳥のやう。

 

想ひは白き鳥のよう。

 

 夢枕獏、実は小説で読んだことはないんですよね。

昔、兄が持っていた漫画の陰陽師を何冊か拝見したぐらいです。

この本をきっかけにwiki見たわけですが、冒険家のようにヒマラヤやら雲南やらに突撃されていてアウトドアな一面に驚きました。

 

十五夜、どれも幻想的で迫力ありすぎて、読みながら夢を見てる心地になります。

縦になったり横になったり、ひっくり返ったり、文字が躍り背景になり、見ていて楽しかったです。

世界の果てを、空と大地の境界にあるという宝を求めて、ひたすら旅する夢見小僧。

浪漫だなぁ。

 

本作は、なんとベネズエラテーブルマウンテンを旅する中で、作家・夢枕獏氏とイラストレータ寺田克也氏が交換日記のようにして生まれたものです。

ある晩に夢枕氏が文章を書き、翌晩に寺田氏が文章から想起した絵が描かれる。

それぞれがどういう経緯で本を作ることになったか、あとがきがあるのですが、これがまた面白い。

 

旅の勢いが感じる文章とイラストを見ていると、世界を旅した夢見小僧と幻食坊に続きたくなります。

ざんざかざん!

「こんなところにいたの?  じっくり探すと見えてくる 動物たちのカモフラージュ」

 動物・昆虫たちの擬態をこれでもか!というほど堪能できる自然科学スキーにはたまらない一冊。

こんなところにいたの?: じっくり探すと見えてくる 動物たちのカモフラージュ

こんなところにいたの?: じっくり探すと見えてくる 動物たちのカモフラージュ

 

 まず一枚の写真をみて、一体どこに擬態しているかを探し出す。

裏に解説。なぜこんな擬態をしているのか。

捕獲者から逃げるためか。はたまた捕食者に気付かれずに近づくためか。

 

すぐわかるものもあれば、つぶさに写真を見ても全然分からない超絶擬態もいて、薄さの割にたっぷり楽しめました。

裏の解説でここですよ、と囲まれているのですが、それでようやく分かると「そこかよ!」ってつい声でちゃいます。

電車の中はおススメできません。幾度となく声を上げそうになりました。

 

軽い読み物ですが、国立博物館館長監修で解説は大変しっかりしています。

「駅伝日本一、世羅高校に学ぶ 「脱管理」のチームづくり」

駅伝で知らぬ人がいない広島県世羅高校

その強さが知りたくて読み始めましたが、高校駅伝に留まらぬ内容に胸が熱くなりました。

 

駅伝日本一、世羅高校に学ぶ 「脱管理」のチームづくり (光文社新書)

駅伝日本一、世羅高校に学ぶ 「脱管理」のチームづくり (光文社新書)

 

 世羅高校を長年支える岩本監督本人による著。

ご本人も、そして青学の原監督も、世羅高校出身とは知りませんでした。

1学年違いで、一緒に走っていたお二人が、いま日本の駅伝を活性化させる監督として成果をあげられているのは凄いと思います。

また、二人ともが兎にも角にもスパルタな(当時はどこもそうだったと言ってますが)自身の高校生時代を猛省して違う指導法を追い求めた結果、似たようなチーム作りをされているのが印象的です。

 

タイトルで「脱管理」と銘打ってますが、これはミスリード

生活指導は徹底しても、言いすぎない。手綱を引き締めた管理かと。

また実際に指導を受けた選手のエピソードを見ると、自分のためじゃなくて監督のために成果を残したかったという感じのことを発言しているのが印象的。

私も営業職として「自分の成績だけ達成すればいい!」と思っているときよりも、「この店のために!みんなで頑張ろう!」と思っているときのほうが自分と店全体のノルマの達成率が上がっているのを実感しているので、合点がいきます。 

全体を見渡したほうが冷静になれるというか、皆で達成するために自然とチーム力が高まるように挨拶とか声掛けが活性するというか。

そういう雰囲気が全体で熟成すると、「みんなで楽しんでいこう」な感じに自然となるんですよね。

だから、岩本監督が「女子に対してはあまり何もしていない」と言ってますが、いがみ合いやすい思春期女子を「ハッピーになりたい」と自分たちで勝手に暴走して入賞ふっ飛ばして優勝しちゃうチームになる基礎を作り上げたのが監督の力量だと思います。

嫌な上司の時には部下としても「まだできる…ただ、この上司の手柄になるのは悔しい」と適当なところでブレーキを踏みますし、良い上司の時には「ここまで上司が頑張ってくれてるのならば、部下としても成績として報わねば。アクセル全開」と思いますもの。

 

また、駅伝だけでなく、地域活性や日本マラソン界まで語られています。

世羅高校自体の歴史が結構面白くて、なぜ「駅伝の町」となったのか。

そして、現在は駅伝をし続けられる町として、選手を巻き込んで地域づくりの核として活用されているのが凄い。

私は隣県の岡山ですが、世羅のような中山間地域がいかに辛い状況かは都会の人より肉薄して感じられます。

特に中国地方の、都会(関西圏)が近くにない中山間地域は観光で名をあげるといっても、都会の人を誘致し辛い分ハンディキャップはものすごいのです。

気軽に都会から行ける距離じゃないし、交通機関もほぼないですからね。

これは難題だ…でもずっと駅伝を応援してきた世羅地域ならできるかもしれない。

 

また、最近低迷著しい日本マラソン界にも、「マラソンはずっと記録更新されていない。短距離はできた、長距離はどうだ」と苦言を呈されています。

日本陸連が変わらないといけない、と言われていますが、ここを変えるために岩本監督や原監督が新しい風を送り込んでる最中なのですね。

一駅伝ファン、マラソンファンとして、注目していきたいです。

 

最期に世羅高校は留学生の子も走っているので、ずっと私学だと思っていました。

県立高校だったのですね。

また岩本監督も監督業ではなく、学校の先生。

駅伝の成績だけでなく、生徒のことを考えて指導される姿はまさに教育者。

これからも世羅高校の走りを見守っていきたいと思います。

「本をめぐる物語 小説よ、永遠に」

 「本をめぐる物語シリーズ」で一番本書が好きだったな。

この本だけは手元において、読み返したい作品が多い。

8作品中、6作品が当たり。

ボーイミーツガール、AIによる小説執筆、読書による目覚め、分かれ。小説の存在意義。なかなか豊富なテーマでよろしい感じ。

 

「真夜中の図書館」神永学

ボーイミーツガール?な一作目。

書店で見かけるけど読んだことのない「心霊探偵八雲」でしたが、切なくて面白かった。これはシリーズに手をだしてもいいかも。

 

「青と赤の物語」 加藤千恵

小説、物語が禁じられ、封じ込められた未来。

ボーイミーツガール2作目、少女と少年は真夜中の図書館で物語と出会う。

真夜中のわくわく感が凄い。

生まれて初めて読む小説×深夜×図書館、これは止まらない。

 

「壊れた妹のためのトリック」 島本理生

これはいまいち。叙述は好きだけど、このアンソロジーでこの物語?

壊れた妹、という設定だけ。中身はない。

 

「ゴールデンアスク」椰月美智子

読まない人が、小説を読み始めるまで。

物心つく前から活字中毒なので、読まない人の話は我が身から離れすぎていて楽しい。

そっけないけど、さり気なく新作を話す小説家が好き。

 

「ワールズエンド×ブックエンド」海猫沢めろん

ボーイミーツガール?3作目。そして、学生物書きとAIの出会い。

AI云々は正しいのだろうか、興味深い分野。

少年が狂った?のはもったいないかも。

いつかAIによって書かれた小説が大ベストセラーになるのだろうか。

 

「ナオコ写本」佐藤友哉

自殺した女友達とそっくりな何か、という設定は面白いんだけど。

 

「あかがね色の本」

最初の出だしが暗すぎて不安だったけど、一番好きな話。

ボーイミーツガール4作目、物語好きな少年と少女が出会う。

「私たちが幼かった」というけど、他人を気にしてばかりの周囲が幼いんだよね、本当は。

第二ボタンとセーラー服のスカーフ、ドビュッシーの「月光」、美しすぎるモチーフと物語。

心から信じてくれた誰かがいた。その誰かと世界を共有できた。私にはその事実だけで十分なのです。

この作品は「月光」を聞きながら、ゆっくり読み直したい。 

 

「新刊小説の滅亡」藤谷治

新刊小説をすべての出版社がやめる、という小説家と読書家としては悪夢のような設定。

私も5年程前にライトノベル的作品が小説界に蔓延したときに、同じようなことを考えたことがあったので、身につまされるように読みました。

曰く、新刊が出るから古典が霞む。駄作のような新作しか出ないのならば、もう新しい小説は出さず、古典をひたすら読んだほうがいいと思った時期があります。

でも、最近そうじゃないと思いました。

過去の作品を読んで、平安でも中世の人の世界観がわかる。海外の作品を読めば、古代ギリシャも、中世のイタリア、近代のフランス…私たちは様々な作家と本を通じて触れ合える。

過去だけじゃない、現代だって、流動化しつつある価値観を小説を通じて、確認したり、発見したりできる。それは誰かの思考や、行動をともに追う小説だからできることだと思うのです。

現代は出版が容易な分、気骨のない小説の乱造も確かにあるかもしれないけど、やっぱり小説は最も時代性を反映するものだと思う。

それぞれの時代の人と小説を通じて対話するためには、新刊小説は必ずないといけない。

私たち読書家は、永遠に新しい一ページを待ち続けている、本が読めなくなる日まで、読み続けたいのです。

たとえ自分達が消えても、小説さえ生き残れば時代が残る、最近はそう思います。